私は今でも、強制される労働は大嫌いだ。やりたくないことで埋め尽くされる日々は、退屈で苦しく死を選びたくなるほど嫌いだ。しかし生活費の呪縛から解き放たれ、仕事が「やらなくてもいいこと」に代わると、仕事の見え方が変わった。仕事は食うための苦行から人生を彩る遊びに変わったのだ。
仕事は「生きるために」から、「楽しむために」の時代へ
生活コストを極限まで削減することで、仕事を生きるためではなく楽しむためのツールにした私は、日々の仕事さえも楽しめるようになってきた。
はじめは面白くないと思ったり、非合理で理不尽な仕事に不満を感じることもあったが、今はそれさえも楽しめている。
面白くない仕事は、どうやったらおもしろくなるか考え、
非合理や理不尽は怒られることを覚悟で、独断で合理性を追求してみたり、
自信のないこと、やったことないことも、できると根拠のない自信でトライしてみて、失敗したら明るく謝って教えてもらうようにした。
すると自然にできることが増えていき、どんどん仕事がやりたくなっていく。怒られても笑って謝れると、次第に怒られることに慣れてきて、失敗を恐れなくなっていく。怒られて嫌な気持ちになるということは、相手に対して反発していることでもある。プライドが捨てきれず相手の指摘を素直に受け入れられないのだ。昔好きだった歌の「自分以外師匠、すべての人々に感謝しよう」という一節がある。私はそれを思い出して考えを変えることができた。そして次第に自分のレベル上げのつもりでやっていたことが、どうやったら喜んでもらえるかを考えられるようになり、それが間接的に自分の成長にもつながっている。
仕事が楽しくなると、プライベートを楽しむことに必死になりすぎなくてよくなる。仕事がつまらないと、それを埋めるかのように余暇を楽しい予定で埋め尽くしたくなる。その余裕のなさがさらに仕事をつまらないものにし、人生を労働のために使い果たしてしまう。
仕事が遊びに変わったことで、私の人生は途端に軽やかにそして鮮やかになった。しかし、ここで新たな問題が浮上する。楽しみを見つけた私の前に立ちふさがったのは、あまりにも膨大で、あまりにも長い「人生の残り時間」という現実だった。

人生はとてつもなく長い、退屈は毒である
私は昔から「なぜ、人間だけ食うために、労働という間接的で退屈な行動をとるのか」と思うくらいには、労働や仕事に疑問を持っていた。ライオンは腹が減れば狩りをし、満たされれば寝る。人間だけが明日食べるために、今日行きたくもない満員電車に乗る。食うという行動は、本能的で衝動的なものなのに、働くという行為には本能を掻き立てられ要素があまりない。
生命の危険がない平穏な日々は、とても喜ばしいことだ。しかし、命を燃やすべき対象(=食うための闘争)を失った脳は、行き場をなくして「退屈」という負のスパイラルに閉じ込められてしまう。食うに困らない国に生まれたからこそのジレンマなのかもしれないが、食っていけることが当たり前になっており、労働の対価で飯を食っているという感覚がなく、やる意味を感じられないのだ。
そのうえ日本人の人生はとても長い。人生100年時代とまで言われ、生涯現役で過ごす未来まで見えてきている。今40歳の人でも残り30~40年は働いて生きていくことになりそうなのだ。それなのに仕事が退屈でやりたくないものになっていては、長生きする意味もなくなってしまう。ただ時間を消化するためだけに生きるのは、ゆるやかな死と同じだ。30年後の自分も同じように、死んだ目で満員電車に乗っている姿を想像したとき、私は本能的な恐怖を感じた。このままでは、人生という長距離走の途中で心が先に力尽きてしまう。
退屈から逃げ、長すぎる人生を無限の牢獄にしないためには、自分自身を楽しませるしかないのだ。
「誰かを喜ばせる」という、最高の暇つぶし
人生を退屈な地獄にしないためには、まず何事も楽しむことが大切だ。そのためには不必要な不安から解放されなければならない。その方法は徹底的なコストカット。私の過去の記事を参考に今できることをやってみてほしい。
人生のコストが減り、不安が少なくなれば、目の前のことも楽しむことができる。実際私も以前は遊びすぎて一時的に減った通帳残高やクレジットカードの請求額を見て不安に駆られていたが、今はどうせ数か月働けば復活すると思えるようになり、遊ぶ時も常にそれを念頭に置き楽しむことができている。
余暇の時間が楽しくなると、相対的に仕事の時間が楽しくなくなりそうだが、実は違う。以前の私も早く休みが来ないかと待ち遠しい日々を送っていたこともある。しかしそれは、楽しくない仕事の時間、人生の大半の楽しくない時間を、楽しい時間で補いたい焦りでしかないのだ。
心の余裕があると、いやだと思っていた労働すら楽しくなってくる。
この作業の理由は何だろう?ほかにいい方法はないのかな?一回怒られてみてダメな理由を確認してみようかな?
と自ら怒られに行く余裕すらでき、結果的に仕事がうまくいくこともある。怒られるようなことをするということは、裏を返すとリスクをとって挑戦しているということでもある。そのリスクは怒られるだけ。いろいろ不安を抱えている人は、怒られるだけで心が乱れ生活も乱れていってしまう。しかし心にゆとりがあれば対して問題にならない。もともと元気で明るい性格の人なら、お金の不安があっても問題にしないのだが、そんな人ばかりではない。精神が弱い人は強くいられるように、不安を減らしていく必要があるのだ。人間は失敗しないといい方向へは進まないと思う。正確には失敗しながら試行錯誤する必要があるのだが、この失敗することへのハードルが精神状態に依存すると思うのだ。心穏やかであれば、所詮仕事なんてただの経済活動でしかなく不必要なことの連続、生死にかかわることも少ない。仕事のミスなんてたいしたことではないと思えるのだ。
自分が楽しくなってくると今度は、人を楽しませたり喜ばせたくなってくる。人の喜びが自分の喜びに変わるのだ。私がこれを感じたのは旅先の海外だった。一人で行っても十分楽しいのかもしれないが、楽しさを共有できる友達と行くほうが、それだけ楽しさも増える気がしたのだ。旅先で景色を共有するように、仕事現場でも「価値」を共有する。一人の完結した満足よりも、他人が介在する喜びの方が、人生という長い時間を埋めるには圧倒的にコスパが良いのだ。
自己満足のための仕事には、やがて限界が来る。そんな時、私の視界を広げてくれたのが今の上司の言葉だった。
「お金のために働いてない。誰かが喜ぶついでに売上があればいい。」
その時、パズルのピースがはまった。コストを極限まで削り守りを固めた私が、次にすべき「究極の暇つぶし」はこれだ、と。
自己満足はいつか飽きたり、虚しくなるものだ。しかし誰かの喜びはそれだけで、生きる活力になる。海外旅行に行くようになってから、最初はお土産など必要ないと思っていた。しかし次第に友達も増え、旅行の話をする機会も増え、話をした人たちには何かしらお土産を渡して、また話を聞いてもらいたいと思うようになった。相手もその話を聞いて喜んでくれたり、一緒に行こうという話になったりと、自分の楽しさも増えていく。
もちろん、誰かに褒められたくて媚びるわけではない。あくまで自分が主体となって、この「退屈な人生というゲーム」を面白くするために、他人の感情を動かしてみる。その結果としての「ありがとう」は、攻略報酬のようなものだ。自分本位か相手のことを思うかのちがいで、自分へのリターンの質も変わるのだ。
人生の大半の時間「仕事」を楽しくするために
お金のために働かないこと。
これに尽きる。
若いうちは特別な才能や資格がなければ、収入を飛躍的に上げることは難しい。しかし生活コストを下げることは誰にでもできること。私のように、家賃や食費までも削ってしまうのは最終手段だが、その最終手段ですら我慢は多くない。むしろ会社というしがらみから解放されて、職場の人間関係や不条理なルールに対しても、当事者として消耗するのではなく、穏やかな傍観者として向き合えるようになった。
生活コストが減ると直面するのは、何のために働いているのかという疑問だ。もちろん仕事をしなければ、食事や住まいは確保されないのだが、丸々残る給料や働いている時間そのものが何のためなのかはっきりしないと、やる気がなくなってしまう。
私は主に3つの目的があってやっていると思っている。
1つは人とのかかわりのためだ。一人が好きで会社などのしがらみが苦手な私でも、人との交流がゼロだと苦しくなってしまう。一人になりたくて逃げてきた住み込みの仕事も、気づけば誰かと話したくてカフェに行き、店員さんとの会話で心を満たしている時期もあった。職場は苦手な人間もいるのが当たり前だが、ある程度楽しく会話ができる人がいれば、コスパ良く人との交流が作れる場でもある。この視点が働きたくないという気持ちを軽減してくれたりもする。
2つめは娯楽や趣味としてだ。以前はたまたま理系というだけで就職した先の、やりたくもないことをやっていたり、転職先も同じような業種しか選べなかったりと、楽しい要素は一つもなかった。しかしお金を気にせず働けるようになると、多少給料が低くてもやりたいことをやろうと思うことができるようになった。その結果、趣味や娯楽の感覚で働くことができ、楽しみながら働くことで充実感を得ることができている。一つ欠点があるとすれば、趣味や娯楽なので真剣みが欠如し、気分次第でパフォーマンスにムラが出てしまうことだ。これについては今後改善していく必要があるとは思う。
3つめは生活リズムのコントロールだ。自由な時間が増えると、私はついつい動画やSNSなどで時間を溶かしてしまう。そうすると1日中ベッドの上で過ごすことになり、腰が痛くなったり、頭痛がしたり、ときには風邪をひいてしまうこともある。体調が悪くなると気分も落ち込み、昔のような負のスパイラルに陥りそうになるので、それを避ける意味で生活を律するために働いてリズムを作っている。自由な時間は減るが、たくさんあっても使いきれていないのが現状のため、短い時間でやりくりするほうがいいということに最近気がついた。

このマインドマップを見てほしい。最初は小さな枝分かれかもしれないが、試行錯誤を繰り返すうちに、関心の枝はどんどん増えていく。 注目してほしいのは、図が広がれば広がるほど、相対的に『不安』の文字が小さくなっていくことだ。もちろんゼロにはできないが、不安を気にする時間がないくらい、夢中になれることで頭を埋め尽くすことができ、不安が入り込む隙間をなくす。これこそが、私がたどり着いた不安との正しい付き合い方である。
人生は、ただ消費して待つにはあまりにも長すぎる。 だったら、この長すぎる退屈を遊びで埋め尽くしてしまえばいい。
さて、あなたの人生という長い「暇」。 明日から、どんな遊びで埋めてみますか?

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